Art Reportーアート鑑賞録ー

美術館・博物館・ギャラリーでの展示鑑賞録。

救いのないことが救いであることから抜け出そうとした映画「夜明け」。

2月に公開以来、結局今回8度目の鑑賞を
横浜のジャックアンドベティで終えた
広瀬菜々子監督作品、柳楽優弥主演の「夜明け」。

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(ジャックアンドベティでも6/21をもって上映終了しています)
 
 
前回、感想を書いたのは4度目の鑑賞後の
2月であった。
その時はまだ自分がどうしてこれほどまでに
この作品を見たいと思うのかが
今ひとつわかっていなかった。
そして当時この映画に癒されたとも感じている。
居心地の悪い映画だと言いつつも。
 
その辺りはこの数ヶ月、折々に思い出し
考え続けていたのだが
恐らく劇場でこの映画を見るのは最後だと思うので
結論というにはまだ浅いようにも思えるが
私なりの考えを書き記しておくことにする。
 
広瀬監督が意識したものとは異なるかもしれないし
もちろん他の解釈をしている方もいると思うが
この「夜明け」のように余白がたっぷりとある映画は
見た者が自由に考えられることが醍醐味でもあるので
一つの見解として読んでいただけると幸いである。
 

 
人は自分がなんらかの罪の意識を持ったとき、
自分の幸せを願えるだろうか。
 
罪とは言っても刑事事件を起こしたとか
明確に罪に問われたとか
そういうものではなく
自分の言動がきっかけになって
大きく身近な誰かの人生が
変わってしまったと思われるとき(しかも不幸な方向に)
自分は幸せになる資格はない
幸せになるべきではない
などと考えたりはしないだろうか。
 
シンイチの場合は、バイト先のガス漏れに
気づきながら黙っていたことで
火災が発生し店長が亡くなってしまったこと。
 
哲郎の場合は、息子との言い争いのあと
出て行った息子の運転する車が事故を起こし
同乗していた妻も一緒亡くしてしまったこと。
 
二人とも直接手を下したわけではないし
それが罪に問われるわけではない。
(シンイチは状況によって微妙かもしれないが)
 
しかし、
「あのとき、ひとこと声をかけていれば」
「あのとき、言い争いをしていなければ」
と、原因は自分ではないかという
罪の意識と後悔はその後の人生に
常につきまとう可能性が高い。
よほどの悪人でもない限り
たとえそれが、憎いと思っている相手であっても
理解しがたい生き方をしようとしている相手であってもだ。
 
そしてそう言う類の後悔の一つや二つは
事の大小に関わらず誰にでもあり
特に「事」が大きいときには
罪の意識や後悔はそれに相応する
苦しみや生きづらさを抱くことになる。
 
だが苦しみや生きづらさを抱くのは
自分が自分の幸せを望む場合で
矛盾しているようだが
救いのないことが救いとなることもあると思う。
だって何もしなければいいのだから。
 
「私は自分の中に罪を持っているので
   幸せになることは諦めました。
   誰にも心を許さず、黙ってひっそり淡々と生きていきます。」
 
そんな風に救われないことが
亡くなった人への報いとなると考えれば
救われないことがむしろ楽(幸せ)なことで
彼らの救い、癒しに繋がることもあり得るのではないか。
(たとえ個人の勝手な思い込みであっても)
 
そしてこの物語は何もしないことを選ばなかった物語なのだ。
 
シンイチは勇気を出して店長の見舞いに行った。
哲郎は新しい伴侶を得ようとした。
 
そこから幸せへの産みの苦しみが始まる。
 
哲郎と宏美の結婚式前夜、
いなくなった哲郎を見つけて肩を貸し帰るとき
シンイチは哲郎に言った。
 
「このままじゃ誰も幸せになれないですよ」
 
哲郎は息子の遺影を倒したまま、
息子の自分に対する生き方への
否定を受け入れられぬままに来た。
シンイチは素性を隠し偶然口から出た
哲郎の息子と同じ名前
社会に受け入れられることを試みた。
しかしそれだけではダメだったのだ。
2人が表面的な幸せではなく
心底幸せになるには
過去から目を背けず
これまでを背負いながら生きていくという
痛みを伴わないと。
 
シンイチがその痛みを
受け入れることの決意が
金髪から黒髪に戻すこと
宏美の娘あさへの
「ごめんね。もう大丈夫だから」
披露宴での
「僕はシンイチではありません」
というセリフに繋がったのではないか。
反面、哲郎は最後まで
その覚悟ができなかったと感じるのは
年齢ゆえの変化への弱さだろうか。
 
アプローチや覚悟への違いはあれど
2人が再生に希望を抱いたのは事実だ。
大袈裟でもない。ドラマチックでもない。
さらなる前途多難が待ち受けていても
微かにでも感じられる希望が
私を虜にしたのだと思う。
日常とはそういうことの
積み重ねだと思うからだ。
 
またその日常は
場面場面で聞こえてくる
音にも強く感じた。
 
川の流れる音
車のブレーキ音
急ぐ足音
時計の音
ガスに火をつける音
鑿の音
木が切られる音
ラジオ体操の音楽
通過していく電車と踏切の音
公衆電話の10円玉が落ちる音
電話が切れた後のツーツー音
部屋を通り抜ける名前を呼ぶ声
自転車の音
洗い物をする水道の音
パチンコ屋さんのジャラジャラする音
車の中のラジオ
卒塔婆が微かに揺れた音
大きな呼吸の音
波の声
 
いずれも幼い頃から現在までに
どこかで聞いた記憶のある音ばかりだ。
それが私自身が何かこの場が安全で
守られているような安心感、
癒され感を覚えた一因であるかもしれない。
このような音の使い方やTara Janeの音楽が
本当に効果的だった。
 
前回のブログでも書いたように
 
生き方に正解はないし
今後の2人を考えると
到底、幸せな気持ちにはなれないのだが
だからこそ絵空事とは違う
作品へのリアル感が大きいし
生きるって難しいなと思う。
難しいけれどささやかな喜びも
待っていそうな予感もする。
 
こんなにも長い期間、様々なことを考え
それを楽しいと思わせてくれた
広瀬菜々子監督、主演の柳楽優弥さん、
小林薫さんをはじめとする
キャストの皆さんや多くの皆さんの力で
作り上げられたこの作品に感謝するばかりである。
 
9月に発売となるBlu-ray、DVDがとても楽しみだ。
もちろん予約しましたよ!
 
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