※多少のネタバレを含みます。
詩や哲学、芸術に共感しあい理解を深めた末に愛し合うのが男女なら
なんの異論もなく自然なことと周囲に受け止められるのに
それが同性では許されなかった時代、
同性愛当事者が矯正施設で「治療」されるという時代のイタリアの史実を元に描かれた、
詩人であり蟻の生態学者アルドと
アルドの主宰する芸術サークルに参加していたエットレとのラブストーリー。
(とはいえ、いわゆるラブシーンはないです)
生々しい描写はないのに2人が共通の言葉をもって語り合うことを
どれだけ幸せに思っているかがわかる演出がすごく良い。
時折り彼らから発せられる詩の一節や芝居の台詞が美しく、
それらを書き留めたいがためにもう一度見たいと思ってしまったほど。
「罪という字を消して勇気と書く。愛という字を消して君と書く。」とか悶絶する…。
実は3,4年前に「ある少年の告白」という作品を見て
同性愛の矯正施設はいまだ存在していて、
日本より理解が進んでいると思っていたアメリカに
そういう施設があるということに驚きました。
もちろん社会的な偏見もあると思うし、
宗教的な意味でも暗黙のうちに禁止されているというのもあって
自分の家からそういう人を出すのがいけないことという認識もあったと思います。
2人はエットレの家族によって引き離され
アルドは「教唆罪」で裁判を起こされますが
(同性愛を罰する法律がないため相手を唆し支配しようとした、と教唆罪が適用されたそうです)
エットレの家族や検事、裁判官の感情的な煽り(世間の偏見)が
まるで魔女裁判のようで下世話に見えてしまい
賛成しないまでも静かに息子のそのままを受け入れようとするアルドの母親が
治療に躍起になるエットレの母親との対比で描かれ印象的でした。
ただ、どちらも「息子への愛」が出発点なのだろうというのは理解できますし
世間体があるとはいえ、この息子への愛し方に正しいか誤りかを
あてはめるのは非常に難しいとも感じます。
とても意外だったのは刑期を終えたアルドは
エットレと結局は人生を共にはしなかったというところ。
引き離されることがなければ添い遂げたのでしょうか。
それとも道を分つのは運命だったのか…。
ありがちなハッピーエンドではなかったことが
かえってリアルで人生って不思議だなと思いました。
嵐のような恋の季節を経て紆余曲折のその後の2人が
それぞれの人生を愛豊かに全うできていたのなら救われるのですが。
60年ほど前の実話に基づいていますが、
現在でもセンシティブで解決できていない問題はたくさんあり、
愛し合う者同士がただただ不自由なく
幸せと思える人生を送れるような社会になることを願うばかりです。