Art Reportーアート鑑賞録ー

美術館・博物館・ギャラリーでの展示鑑賞録。

役者の業の深さと狂気「国宝」。

映画「国宝」を見てきました!
原作が素晴らしかったのでちょっと心配でしたが負けず劣らず素晴らしかった…。
 
長編小説なので端折らざるを得ないことは想像していましたが、切るところはバッサリ切ってよく纏まっていたと思います。原作を読んでいなくても楽しめますが喜久雄・俊介の2人を中心に描いているため周囲との人間関係で描写が手厚くない部分があります。その辺りが気になる方は見たあとにでも原作を読むことをお勧めします。

しかし、どんな言葉で感想を書いたとしても薄っぺらくなってしまいそうで悩ましいのですが、それでも記録しておかないわけにはいかないという気持ちでいっぱいです。ということで。
 
(以下、俳優名敬称略)
 
美しくて壮絶で役者の業の深さと狂気。

吉沢亮横浜流星が凄まじいのはもちろんですが子ども時代を演じた黒川想矢と越山敬逹がとても良かった。彼らの演技があったからこそ大人になった2人の血統か才能かのリアリティが増したのではないでしょうか。

国宝という作品の中の役を生きること、またそこでの劇中劇の役を生きるという謂わば入れ子状態の演技をするというのは並大抵のことではないでしょう。さらに歌舞伎という独特の所作や演じ方がある縛りの中で芸を磨き成長していく喜久雄、俊介の姿は吉沢亮横浜流星本人たちの成長でもあり不思議な感覚を味わいました。

私が一番印象的に感じたのは喜久雄が干されてしまって鄙びたホテルの屋上でボロボロになって踊るシーン。生い立ちや置かれた立場に憎悪を感じても芸の道しかない彼にとっては踊るしかない…ここで狂ってしまったほうが楽なんだろうけどそれすらも叶わない、自分自身すら呪わしいだろうな…でも皮肉だけれど傷つけば傷つくほど芸は磨かれていく残酷さ。

「国宝」パンフレットより
この場面、俊介が出奔して喜久雄が歌舞伎の舞台に立ち続け花井一門を支えていた時期には俊介がこういう立場だったんだろうなとも想像がつき本当に血とは芸とは、とやるせない気持ちにも。
 
舞台のシーンはぜひ劇場で見て欲しいです。歌舞伎の舞踊や芝居をやったことのない人が、見る側に演目として成立していると思わせるものを披露できるって凄いこと。
2人とも短期間にどれだけ鍛錬を積んだんだろうと気が遠くなります。歌舞伎界の若手を起用する手もあったと思うのに映画化にあたって監督には主人公の喜久雄は吉沢亮しか頭になかったそう。その期待に十二分に応えた演技でした(実は私は最初、吉沢亮横浜流星、逆の配役のほうが良いのでは?と思っていたのですが監督の目は確かでした)。
 
中でも2人の曽根崎心中は死への覚悟と死に行く様が切なくそのときの俊介の境遇に重なって号泣寸前に…。
普通なら見られない舞台上での早替えやアングルが見られたのもとても良い。
 
そして田中泯が圧巻!人間国宝女形を演じているのですが、本当に人間国宝なんじゃないかと思うほど(恐らく六代目中村歌右衛門がモデル?)。近年、映画で役者として見る機会が増えていますが実は世界的なダンサーなんですよね。普段型にはまらない独自のスタイルで踊っている人が歌舞伎という様式の中で自由自在に舞っている…ただただ圧倒されました。子ども時代の喜久雄と俊介が思わず呟いた言葉がまさにそのとおりで心が震えました。
 
あと個人的に痺れた台詞が寺島しのぶ田中泯にあるのですが役者の業や狂気をよく表していました。特に田中泯のアレは目の前にいる彼ではなく部屋の外にいる彼への言葉でしたよね…。芸の道に足を踏み入れ取り憑かれた者だけが知る恐ろしいメッセージだと思いました。
ちなみに劇中に出てくる歌舞伎作品の解説や豆知識が公式サイトにあるので観に行く前に読んでおくと理解が深まるかもです。

 https://kokuhou-movie.com/keywords.html

長い上映時間の作品ですが、あと1回は見たいなー。
鑑賞された方のほとんどが言っておられるように多分今年の各映画賞を総なめにするんじゃないかしら。
それほど心に強烈なものを残していきました。